こんにちは!
今回は、算数の勉強を通して感じた気づきについて書いてみようと思います。
「子供がつまずくその瞬間を見逃さない。教えるより、見極める」ということです。
「わからない」に、すぐ答えを与えてしまっていた頃
以前の私は、わからない=教えてあげるべきだと思っていました。特に算数の文章題などでつまずいていると、「これはね、こうやってこうするんだよ」とすぐに解説モードに突入。解説を聞いた子供がわかった感じになれば、よしよし、理解できたな、と私も納得していたのです。
でも…同じ問題をもう一度やらせたら、手が止まる。「あれ?あの時、分かったってなってたじゃん!」「え、またここで止まるの…?」そんなことを多々起きていました。
わかったつもりでは、定着しない
そう、教えればとりあえずは解けるんです。でも、本当に理解していなければ、同じ問題でもまたつまずく。つまり、私がこれまで行っていたのは、「子供の考える機会を奪って、その場だけ正解っぽく見せていた」だけだったかもしれない…。
「どこで止まっているのか」を見極める大切さ
最近は意識的に変えました。わからないと言われたときほど、じっと観察するようにしています。
- どこまでは理解できているのか?
- どこで手が止まっているのか?
- どの情報を整理できていないのか?
ここをじっくり探るようになりました。そうやって、「つまずきポイント」の特定を最優先するようにしました。そうすると、「ああ、単位の変換で止まってたんだ」、「そもそも平均の意味をちゃんと理解してなかったんだ」、といったことが見えてくるようになりました。
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親の教え方も進化する
中学受験の勉強って、子供だけでなく親も成長しますよね。私自身、「教える」より「見抜く」「待つ」「観察する」ことの大切さに気づき始めました。そしてそれは、すぐに答えにたどり着くことが、学力ではないという、ごく当たり前だけど大切な事実を再確認するきっかけになったのです。
子供がわからないときに、どこに止まっているのかを一緒に探すようなサポート。それが、我が家の中学受験における最近のスタンスです。もちろん、忙しい毎日で、そんな悠長に構えていられない時もあります。でも、一問一問の「わからない」を丁寧に扱うことが、のちの確かな理解や応用力につながっていくんだと信じています。
*** ご覧いただきありがとうございました ***